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松江地方裁判所 昭和48年(ワ)30号 判決

原告

松本愛三

ほか四名

被告

プリマハム株式会社

主文

一  被告は、原告松本愛三に対し金一五〇万円、原告松本幸雄、同松本重男、同松本貴美子、同松本栄子に対しそれぞれ金六〇万円宛および右各金員に対する昭和四八年五月二九日より右完済まで年五分の金員を支払え。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

三  この判決は仮に執行することができる。

四  被告において、原告愛三に対し金一五〇万円、その余の原告四名に対し各金六〇万円宛の担保を供するときは、右仮執行を免れることができる。

事実

第一原告の申立

主文第一項同旨ならびに仮執行宣言

第二請求の原因

一  本件交通事故の発生

発生時 昭和四五年一〇月六日午後四時頃

発生地 松江市竪町九一番地先路上

事故車 島根四め八七五九

運転者 瀬戸勇二

態様 被害者松本フサノが前記道路を歩行中、対向の事故車が衝突し、フサノは受傷した。

二  責任原因

被告会社は事故車を保有してこれを自己のため運行の用に供していた。

三  損害

(一)  本件事故による原告の受傷の部位、程度は次のとおり。

頭部、左胸部、左肩胛部各打撲傷、左側腹部挫傷、左肩肘関節周囲炎。

右傷害により、昭和四五年一〇月六日より同月二三日まで入院加療、同月二五日より昭和四六年三月一六日までおよび同四六年八月二六日より同四七年二月二九日まで各通院加療した。

(二)  フサノの死亡および事故との因果関係

フサノは昭和四七年三月八日死亡した。右死因は頭部外傷性後遺症並にこれに基因する冠不全であり本件事故と相当因果関係がある。

(三)  損害の費目数額

(1) 逸失利益

フサノは大正一一年一二月五日生れで家庭の主婦であつたところ、本件事故がなければ、平均余命の範囲内である事故後の一三年間はなお生存のうえ主婦としての労働が可能であつた。この主婦労働を評価すれば、昭和四二年における企業規模五ないし二九八の事業所の全産業常用労働者の女子の平均賃金たる一ケ月二万二〇四二円の割合程度には少なくとも達する。そして生活費としては右割合による金員の五割をもつて相当とする。以上を基礎にして本件事故時以降一三年間の喪失労働能力の死亡時点での現価を年毎ホフマン複式により測定すると一二九万九〇八九円となる。

(2) 慰藉料

フサノの死亡により原告らのうけた精神的苦痛は大きく、これを評価すれば、愛三につき一五〇万円、その余の四名につき各自八〇万円宛といいうる。

(3) 弁護士費用

原告愛三につき一五万円、その余の原告四名につき各六万円宛をもつて相当となしうる。

(4) 原告愛三はフサノの夫、その余の原告四名はフサノの子(他に一子あり。従前原告松本弘子がそれ。)であり、いずれも亡フサノの権利義務を相続により承継した。

四  よつて被告は、原告愛三に対し承継分四三万三〇二九円、固有分一六五万円、その余の原告四名各自に対し各承継分一七万三二一二円、固有分八六万円宛の損害賠償義務がある。本訴請求分はその各内金であり、原告愛三は一五〇万円、その余の原告四名は各自六〇万円宛ならびにこれらに対する損害発生後である昭和四八年五月二九日より各完済まで年五分の遅延損害金の支払を求める。

(運行者免責の抗弁に対し)

否認する。事故車運転者瀬戸には前方の確認を怠つた過失がある。

第三被告の主張

(認否)

請求原因一の事実は認める。

請求原因二の事実は認める。

請求原因三(一)の事実は不知。

請求原因三(二)の事実のうち、フサノが死亡したことのみ認め、その余は否認。フサノの死亡は本件事故とは全く無関係である。

請求原因三(三)の事実中、(1)ないし(3)は否認、(4)は認める。

請求原因四は争う。

(抗弁)

(1)  運行者免責

本件事故の発生につき事故車運転者瀬戸に過失はなく、フサノにこそ過失があり、かつ事故車には構造上機能上の欠陥がなかつた。

(2)  過失相殺

仮に瀬戸に過失があるとしても、本件事故の発生につきフサノにも過失がある。

第四証拠〔略〕

理由

一  請求原因一、二の各事実ならびに本件事故の後フサノが死亡したこと、原告愛三はフサノの夫、その余の原告四名は従前原告松本弘子とともにフサノの子であり、フサノの死亡により同人の権利義務を承継したこと、はいずれも当事者間に争いがない。

二  本件事故とフサノの死亡との間の因果関係の有無を判断する。

(1)  まずフサノに加えられた物理的衝撃力の程度をみることとするが、このためには本件事故の具体的態様の検討が必要である。

〔証拠略〕によれば、フサノは歩車道の区別のある南北道路の東側歩道を竪町から天神町に向け、当時一六才の従前原告松本弘子、当時五才の原告栄子を伴つて歩行していた。一方事故車運転者瀬戸はフサノの進路前方右手の歩道沿にある平田精肉店に食肉塊を配達した後同店前に南を向けて駐車させていた車種普通貨物車である保冷車に戻り南進を開始した。右保冷車は、車幅一・六九米、車高一・九八米で一・二五トンの積載量を有するものであつて、荷台後部のドアは左右に半割れに開く構造になつており、開放止めの施錠装置があつた。瀬戸は平田精肉店への配送に際し、後部ドアを開いて肉塊を取出した後、後部ドアの施錠をしていなかつたのに、このことを失念して、被告松江営業所より指示のあつた次の仕事を急ぐの余り、同店を出るやそのまま事故車を発進させた。右発進のまもなく後、観音開構造の後部ドアが急激に開いて、うち左ドアが歩道にはみ出して、その中央上部が歩道を対向してくるフサノの頭、胸、腹に激突し、フサノははね返されて仰向になつて路上に転倒した。事故車の速度は発進早々のこととてそれほどのこともなかつたが、加害材は保冷車のドアであるから鋼鉄ないしこれに類似する重比重のものでかつ重層、重量のものである。

以上のとおり認められ、この認定を左右すべき証拠はない。

(2)  次に傷害の部位程度ならびに治療経過を検討する。

〔証拠略〕を綜合すると、フサノは前認定の態様による事故によつて頭部、左胸部や左肩胛部各打撲傷、左側腹部挫傷兼挫創を蒙り、事故当日に松江市立病院に入院して加療をうけた。入院当初、左下腹部に軽度皮下出血があり、左側胸部左下腹部に圧痛が認められ、また頭痛、左胸痛、左下腹痛を訴え精神的にやや不穏状態であつた。血圧は最低値一〇〇最高値一八〇であつたが、血尿は肉眼的にはなく内臓破裂は免れていた。入院加療は一〇月六日より一〇月二三日まで続いたがその間各部位検査と注射投薬等対症療法がとられた。右の間フサノには頭部、左胸部、左腹部に疼痛が続きまた不眠があつた。担当医師は疼痛は残存するものの入院治療を継続するほどのことはないとの判断の下に一〇月一九日に、歩行できるようになつたら退院してもよいとの将来の許可を与え、フサノは一〇月二三日退院したがこの時点で身体障害が消失したわけではない。フサノは翌一〇月二四日より通院治療を継続し、注射、内服薬投与をうけたが、胸部、肩部の疼痛、頭痛、左肘痛ならびに全身倦怠感が続き、症状は一進一退をたどつた。市立病院への右通院は昭和四六年三月一六日まで続き、通院実数は二六日であつて、原告愛三が仕事を休んで付添つた。右通院を打切つたのはフサノが注射をうけてシヨツク症状をひきおこしたため同病院への信頼感が薄れたためである。右継続通院の間である昭和四五年一二月五日に動悸が激しくなる心悸亢進が認められ、このときから心臓部門への障害が発現した。市立病院担当医は内科医に診療をうけるように指示し、フサノは一二月一二日より死亡直前まで福間内科医院に断続的に通い、呼吸難、心悸亢進、胸内苦悶等の加療をうけ、冠拡張剤、降圧剤、精神安定剤等の投与をうけた。なお市立病院整形外科で外傷性左肩肘関節周囲炎の治療もうけている。このほかフサノは頭痛、めまい、霧眼ならびに胸内絞扼感、全身倦怠感が続くため、昭和四六年八月二六日より翌四七年二月一五日まで鳥取大医学部付属病院で通院加療をうけた。右通院時の症状で顕著なものは、脳波に陽性棘波が出現し、筋力低下、平衡失調、自律神経障害があり、また易刺戟性、重程度不安感、両上肢脱力状態があつたことである。かかる症状、治療が重ねられた末、フサノは事故後約一年五月を経た昭和四七年三月八日冠不全で死亡した。

(3)  更にフサノの事故前後の身体状況をみるに、福間慶蔵の鑑定結果および原告愛三の供述によると、フサノは昭和三八年頃原告愛三と結婚し以後主婦業に専念したが、その前は魚会社の雑役係として働き、事故前には心臓の欠陥はなく、心障害は何ら出現していないこと、しかしフサノは体重四〇キロにも足りない小柄な女性であつて血圧も高めで体質的に虚弱であつたこと、本件事故後は幼児である原告栄子をかかえながらほとんど寝たきりの生活に終始していたこと、が認められる。

(4)  叙上の事実のほか福間慶蔵、西川正光の各鑑定結果、原告愛三の供述によれば、フサノは前二夫と死別していること、子は三夫との間にいずれももうけて計五人あり、原告愛三が大工として働くかたわら疾病に臥す妻の世話、幼児の面倒をみなければならず、フサノが自分や家族あるいは死亡した前二夫の過去、将来をあれこれ思い患つたとしてもなんら不思議はないこと、フサノはほとんど寝たきりのため身体の衰弱が甚しく、これに加えて懊悩、焦慮、煩悶が続いたため、神経が昂ぶりあるいは意気が沮喪することが続いたであろうこと、右の如き気分状態は必然的に精神上の重荷となり、ひいて心臓等を支配する神経に波及して、血管の収縮、心拍亢進、血圧の上昇に導き、心臓全般あるいは冠動脈に徐々に堆積する障害を惹起したこと、以上が認められ、この認定を左右する証拠はない。

以上の認定事実を総合考慮すると、本件事故をひきおこした外力は極めて大きくかつ重く、これと正比例してフサノのうけた肉体的精神的な打撃も甚大であり、これに前出症状や治療の経過を追跡することによつて認められる身体障害が徐々に進行して行つたこと、心身の苦痛は心臓、特に冠動脈へ深く浸透してついに冠不全発作の引金を起すに至つたこと、右浸透は心労と肉体的苦痛の相乗作用によつたとみるのが精神と肉体との精緻かつ複雑な有機的結合物たる人間の特性に合致すること、以上によれば本件交通事故とフサノの冠不全による死亡との間に因果関係があることは明白といわなければならない。

三  前項認定により自ら明らかな如くフサノにも虚弱体質や血圧がやや高めであつたという事情があり、この潜在的事情は損害賠償額算定上減額事由とすべきものであり、右事情は亡フサノの逸失利益を計測するに当り一〇パーセントを減ずるものとみるのが相当である。勿論右潜在的事情の斟酌は利益衡量論を基底として導かれる寄与率論ないし寄与過失論を採用することによつても可能であり、結論としては同一に達しようが、当裁判所は潜在事情斟酌論に拠る。慰藉料算定についても同様に考慮するが、この斟酌は慰藉料算定過程での一因子として働くにすぎない。

四  亡フサノの逸失利益を考える。

〔証拠略〕によると、フサノは大正一一年一二月五日生れで最初の夫を広島の原子爆弾投下により失い、二番目の夫が病死した後、遺児四人を抱えて魚会社の雑役婦として働き、昭和三八年頃大工である原告愛三と結婚し、以後家庭に戻つて主婦として働いていた。本件事故当時原告幸雄・重男は既に独立し、フサノは原告愛三、同貴美子(当一八才)、弘子(当一六才)、原告栄子(当五才)との計五人で家族共同生活を送つていた。フサノは小柄でやや虚弱体質ではあつたが心機能には何らの欠陥はみられなかつたこと前認定のとおりで、未成年子三名の教育監護を含めて家事一切をとりしきつていた。しかるに本件事故後は前認定の症状や加療のためほとんど寝たきりの状態で時折身をおこすことがある程度にすぎず、事故の後死亡までの間主婦労働に従事できなかつた。かように認められる。

右認定事実によつてみれば、フサノは、本件事故の後死亡までの間主婦労働が右事故のため不能のやむなきに至り、かつ死亡によりその後の労働能力は全部喪失したものというべきであり、フサノの主婦労働の終期は六三才未満である六二才三月とするのを相当とする。

そこで右行使不能となりその後喪失した主婦労働能力を評価するのに、労働省昭和四五年度「賃金構造基本統計調査報告」によれば、年令四七才一〇月を含む層のパートタイム労働者を含む女子労働者の企業規模計の年間給与額は五四万一二〇〇円であり、右数値をもつてフサノが失つた主婦としての労働能力の年間額とするのが相当である。これより前示の潜在的事情による減額分を差引くと労働実能力は四八万七〇〇〇円(一〇〇円未満切捨)となる。そしてフサノの控除生活費はその五割を見込むのが相当である。

以上の算定事由を基礎に、フサノの事故後死亡時までの一年五ケ月分(第一期という)ならびに死亡翌日以降六二才三月までの一三年間分(第二期)の各失つた労働能力を、年毎ホフマン複式(係数は小数点四位未満切捨)により、第二期分基準時を死亡日として、計測すると、第一期分六八万九九一六円、第二期分二三九万一四三七円以上合計三〇八万一三五三円となる。そして第一項の争いない承継事実よりすれば原告愛三は一〇二万七一一七円、爾余の原告四名は各自四一万八四七円宛、右の喪失労働能力賠償請求権を相続したことになる。

五  慰藉料について。

叙上認定の本件事故の態様、フサノの蒙つた傷害の部位程度ならびに死亡の事実、フサノの来歴、原告らの身分、共同生活の有無、亡フサノの前示潜在的事情を斟酌すると、原告らの受くべき慰藉料は、愛三につき一五〇万円、原告幸雄・重男につき各自七五万円宛、原告貴美子、栄子につき各自一〇〇万円宛をもつて正当とすべきである。

六  本件事故が瀬戸の重過失によること前認定のとおりであり、かつ亡フサノにはなんらの過失はなく、従つて被告の運行者免責、過失相殺の各主張は失当である。

七  弁護士費用

当裁判所は一〇〇万円以下の部分につき一五パーセント、右額を超え一〇〇〇万円以下の部分につき一〇パーセントをもつて相当因果関係を肯認する。従つて原告愛三につき二〇万円、爾余の原告四名につき各九万円宛をもつて昭和四八年五月二九日時点の弁護士費用現価と認める。

八  結論

以上により、被告は原告愛三に対し二七二万七一一七円、同幸雄・重男に対し各一二五万八四七円宛、同貴美子・栄子に対し各一五〇万八四七円宛の損害賠償義務があるものというべく、いずれも右の内金およびこれに対する損害発生の後である昭和四八年五月二九日より完済まで年五分の遅延損害金の支払を求める原告らの請求はいずれも正当であるから認容することとし、民訴法八九条、一九六条を適用のうえ主文のとおり判決する。

(裁判官 今枝孟)

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